八重山の旅1

RANA_sp2013-03-21

JTAの機内誌コーラルウェイに載っていた、自家製というか、自分で栽培したコーヒー豆を入れてくれる喫茶店にいきました。
石垣市から北東に1時間近く、星野地区にその店はあります。
コーヒー関係に就職する息子の希望でした。
で?
味は?
と息子に聞くと、「コーヒーの評価って難しいんだよ』。
 
店のおばさんに豆は売っていないの?と訪ねると
「変な時期に台風がくるとたちまち不作になってしまうので、量が少ないからストックしないといけないので、売れないんですよ。」
島の自然と息を合わせたこじんまりした商売、それもまたいいかも。
 
店の名前「人魚の里」の由来を尋ねると
「昔、人魚が津波が来るって教えてくれた」
という話になりました。
有名な話で、私も一応知っていましたが、網にかかった人魚が、「逃がしてくれるなら、大事な話を教えてあげる」というので逃がしてあげたところ、「明日津波がくるから逃げなさい」と教えたんだそうです。
しかし、集落に戻って話してもみんな信じない。
結局、少数の信じた人だけが山に登って難を免れたといいます。
この津波、明和大津波といい、日本最大の津波です。
「昔話と思っていたけど、東北で千年に一回の津波が来たので、ここでももう2回も避難訓練をしました」とおばさん。
 
帰りの日、タクシーの運ちゃんがやはりこの話になって、津波は島の東側から押し寄せ、西側に抜けたと言われている、その時、海底から持ち上げられて陸上に転がった500トンの津波石がこの集落にあるって、道すがら教えてくれました。
石垣島の当時の人口が2万人強、そのうち9000人がなくなった。白保集落は全滅し、波照間島から移住させて開拓した。私も波照間の出身だが、白保に行くと波照間に多い名字が多い。」
竹富島も、人口のほぼ半分が石垣島に移住させられたそうです。
 
ところで、今回は今月開港したばかりの新石垣空港でした。
海上埋め立て案は貴重な珊瑚礁があるということで反対にあい、カーラ岳を削る陸上案は島民の反対にあい、結局何十年もかけて海とカーラ岳の間に作られました。
自然は守れたし、津波のときに人々の避難場所となるカーラ岳も残り、最前の選択だったと思います。