プルートゥ

RANA_sp2008-02-04

この話題、いつ書こうかと考えていたが、今書くことにする。
昔、漫画が大好きであったが、最近は「蒼天航路」以降、読んでいない。
通勤が車になり、出張が無くなり、読む機会が減っていた。
しかし、ある時、浦沢直樹の「Pluto」に出会った。
 柔ちゃんの漫画の作者(今の人なら別の代表作を挙げるだろうが)、浦沢による、天才、手塚治虫の代表作鉄腕アトムのなかで、最も脂の乗り切った時代の「地上最大のロボットの巻」のリメイクである。
 リメイクっておおむね良くなったためしがない。
原作者自身による監修を受けた映画「2010」でも凡作だったし、「キングコング」「惑星ソラリス」「ゴジラ」に至っては論評する必要も無い駄作であった。

 それを、日本漫画界の神と言われる手塚治虫、その代表作のリメイク!
普通の漫画家ならちびってしまうくらいの野心作だ。
 しかも、手塚が嫌って嫌っていた、劇画調で描かれている。手塚本人が見たら絶対に批判する。
 その一方で、この作品、きわめて手塚的に書かれている。手塚は「狂言回し」という手法を好んだ。例を挙げれば、「三つ目が通る」では和戸さんという、ワトソン君みたいな女の子が、写楽というシャーロックホームズを思わせる三つ目族の子孫に振り回される漫画である。この漫画の主人公はもちろん写楽だ。これが手塚が好む手法であり、ロストワールドメトロポリスなど初期の傑作はこの方法で書かれている。
 これを打ち破ったのが鉄腕アトムだ。アトムは主人公であり、狂言回しはいない。もっとも、アトムの最初の作品、「アトム大使」ではケンイチが主人公で狂言回しだが、連載化するとアトムが主人公となった。アトムの人気は手塚を凌ぎ、手塚はアトムに相当プレッシャーを感じていたようだ。その手塚とアトムが一番元気が良かった時代の代表作が「地上最大のロボット」だった。
 しかし、浦沢は、これを別のストーリィに変える。主人公はドイツのロボット刑事、ゲジヒトだ。まさに典型的な狂言回し。手塚が取りたかったはずの構成だ。そして、そのテーマを、手塚が追い求めていた人間とロボットの共存に定める。そこに人工知能を絡める。さらに、まるで浦沢と手塚が会話しているようなお茶の水博士と天才・天馬博士の会話。いやー、なんとも楽しみだ。
 手塚は天才漫画家として知られているが(なんとスポーツ漫画以外の漫画のルーツはほぼ手塚にある)、実は漫画家としての能力より、原作者としての能力が上回っていた。彼は、「アイデアなら売るほどある」と豪語し、沢山の作品を平行して書き上げ、その墨入れに若い才能を惜しげも無く使った(例えば石ノ森章太郎、藤子不二夫、横山光輝など)。彼が絵の才能が無かったら、またもっとあとの時代に生まれていたら原作者として名を馳せたもしれない。その意味では、この作品はタラレバが実現したものかもしれない。
 そして、この作品の今後が読めない。原作も只の異種格闘技戦を超えて、複雑な終わり方をした。手塚としては、単なるロボットの殺し合いでは意味が無いと感じたのだろう。でも浦沢の作品はさらに混み行っている。もしも、鉄腕アトムの原作の第一話に忠実なら、既に壊されてしまったアトムが復活し、ロボットと人間の橋渡しをする大使の役割を果たすだろう。果たして、そうなるだろうか。大変楽しみにしている。

 ちなみに、手塚ワールドでは、アトムよりさらに後の世界、ロボットは人間を支配し、殺し合いを楽しむためにのみ、人間を飼育する様になる。