奄美のケンモン

RANA_sp2007-08-28

私が高校生の頃。
1970年。奄美大島で瞬間最大風速78.9mの台風にあった。
私は住用村西仲間の井上旅館(現在はなし)に宿泊していた。当時、大阪で万博があり、ご主人がお子さんと万博に行っていたので民宿には男手が無く、風雨が強まる中、私が5寸釘で雨戸を打ち込んで固定した。そのとき、目の前に出てきたトカゲを追いかけていた所を宿の人に見られて、あとで物笑いの種になった。
さて、台風はものすごく、風が強くなると気圧が高まり、鼓膜がきりきりと痛む。そして、「風の息」と島の人がいう、一瞬の風の合間に、雨戸が吸い込まれ、打ち込んだ五寸釘がバン!という音ともに半ば抜けてしまう。もし、5寸釘でない普通の釘なら雨戸が引く抜かれ、たちまち家が崩壊する。
そのうち、畳と畳の間から猛烈に埃が舞い上がったと思うとふわ〜っと畳が浮き上がりだした。
「畳がひっくり返ったら終わりよ!」という宿のおかみさんの悲鳴で、とにかくいろいろなものを畳の上に乗せる。少しでも重いと畳は宙に舞い上がらない。
 しかし、ここまでだった。避難の指示がでた。村で唯一のコンクリート製のビル、役場に避難する。しかし、猛烈な風。まさに風の息を縫って避難した。ビルも飛んできた物でガラスが割れ、通信中の人が血まみれになるなど、かなり大変だった。炊き出しのおにぎりを食べ、一夜を明かした。
「復帰後、ずっと努力してきたのが、これで終わりだ」とがっくり肩を落とす役場の長。
 自然は、優しいだけでも奇麗なだけでもないと骨身に沁みた一晩だった。

で、話は3年後になる。
 浪人も終え、はれて大学に入った私は、復帰まもない沖縄旅行の最後に奄美大島に戻った。
 もう旅館は廃業していたが、台風の縁で泊めていただいた。このとき、山の発電所で働くご主人に初めて会い、奄美の山の生物に着いていろいろ教えてもらった。西仲間から海岸の集落に向かう道はマングローブの中を通り、満ち潮になると水没する(自動車は通れなくなる)。そして、引き潮でも道路を覆い尽くすほどのカニの大群がいた。そんな時代だ。山の発電所に向かう道も側溝にはシリケンイモリがうじゃうじゃいたし、ルリカケスがブタ小屋で何羽も餌を漁っていた。アカショウビンなんてうるさいほどいて、電柱に止まっていた。いまでは考えられないほど豊かな時代だった。
 発電所にいく道の途中に住用川の大きな淵があった。そこで、イシガメが岩の上にいるのを見つけた。奄美では淡水ガメがいないので持ち込みと思われるが多分最初の記録らしい。そのことをご主人に話すと、「あの淵には昔からケンモンがいると言われていた」という。
「ケンモンってなんですか?」
「カッパだよ。山で会うと相撲をしようという。簡単にやっつけることができるが、次々と現れてきりがない。日の出まで勝ち続けるといいが、それまでに一回でも負けるとキモをとられてしまう。」
つまり、殺されちゃう訳ですね。怖いですね。
「じゃ、伝説なんですね。」
「まあ、そうなんだが」
「何かあるんですか」
するとご主人は話しにくそうに
「カッパとは違うんだけど。10年くらい前に、アザラシみたいな動物をあそこで見たことがある」
え! アザラシ?
「2匹で泳いでいたけど。一回しか見ていないな。」
一年365日、何十年も通った人だ。嘘ではないだろう。
この瞬間、ケンモンが俄然実在の生物らしい気がしてきた。
「他にっそういう話はないのですか」
「今ではしなくなったけど、昔はマングローブに刺し網を仕掛けていた。時々網の中がぐるぐる水が回る時があって、そういう時は獲物が全く捕れなかった。みな、ケンモンの仕業だ、といっていた。」
「ケンモンが網にかかることは無かったのですか」
「ケンモンかどうか分からないが、猫のような動物がかかったことがあると聞く。もうずっと昔の話らしい。」

水中をアザラシのように泳ぐ、魚を襲う、猫のような顔。
これはカワウソではないか。

奄美大島にいる哺乳類は皆太古の種類だ。もしかして、まだ知られていない、太古のカワウソ、カワウソの先祖がいるのでは、という気がした。

しかし、そうそう奄美に行くことも出来ず、それを確かめることは出来なかった。

その後、私はある一文に出会った。それは戸川幸夫奄美を歩いた際、道案内のハブ取りから、「10年くらい前に住用川でアザラシみたいな動物を見た。あれがケンモンかもしれない。」という話を聞いたという文だ。戸川幸夫は日本で最初の動物写真家である田中光常が現れるずっと前から野生動物の写真と紀行文を書いていた。かのイリオモテヤマネコの発見に一役買ったのも有名である。
私はなんとも驚き、戸川の電話番号を聞き出して話した。氏も驚き、「本当に未知のカワウソがいるのかも知れませんね。」と話が弾んだが、氏は自分は年だから、あなた頑張れ見たいな感じだった。
しかし、私は少し違う生物に興味があったので、その後出会ったイリオモテヤマネコの研究家に話した。彼もまた関心を持ってくれ、大分後になってから、「住用川に行ったが、いかなるサインも見つけられなかった。」との手紙をもらった。

私や戸川が話を聞いたのが、最後の目撃記録から10年。ヤマネコの研究者から手紙をもらったのが、それから10年。そして、それからさらに25年。
もちろん、もういないだろう。

ケンモンの伝説は奄美に今も残る。
しかし、かっては実在の生物だったらしい。
まさに「知られる前に滅びた生物」なのだ。

私がケンモンの話を聞いてからほぼ10年後、ヤンバルクイナが発見された。琉球列島はまだまだ未知の土地であり、今では考えられないほど自然のあふれるワンダーランドであった。