デジタルカメラマガジン

RANA_sp2005-06-20

今月号(7月号)のデジタルカメラマガジンには、E-300による砂漠と、水中写真がトップにあげられている。どちらもため息が出るほど美しい。
砂漠は、中国の寧夏回族自治区というところで一月ほど過ごしたことがあるが、砂嵐はそれはそれはすさまじい。ちょうど、台風の時の暴風が、雨の代わりに細かい砂を含み、雲の代わりに砂が太陽を覆い、あたりを暗くすることを想像して欲しい。まあ、そういう光景だ。私はその光景を、窓を閉め切ったはずの車内から写して、買ったばかりのデジタルビデオをあわやお釈迦にするところだった。
ゴミゼロと言っても、大変なことがわかる。にもかかわらず、ゴミゼロであることは素晴らしい。
素晴らしい写真だ。まるで別のカメラみたいだ。大塚氏の腕前でこうも違った世界が開けるのだろうか。

海中は逆の意味で極限状況である。ここではいろいろなレンズを使った写真が見られ、水中ハウジングのこれでもかといったデモンストレーションになっている。確かに、結果を見ながら詰めていく作業は、自然光とストロボ光のミックスである水中写真に革命をもたらすかもしれない。
ただ。
これはカメラが写す写真ではない。天才、高砂淳二ならではの作品なのだ。その証拠に氏は、銀塩時代からこういう写真を撮っている。色合いはもしかしてまねできるかもしれない。しかし、ストロボをどう当てるとどうなるか、この透明度、深さでは、自然光とストロボの関係は、などは、機械ではできない。まして、あの接近困難なガーデンイールに近づけるのは、これはカメラのせいではない。

ああ、こうでも思わないと、物欲が止まらないではないか。